「……眠い」 数時間前に昼寝をしていたはずの少年は、どこか蒸し蒸しする夜道をコンビニへと向かって歩いていた。 あの後学校へと戻った四人は、それぞれのクラスに戻っていた。 こちらのクラスでは、何やら大量の段ボールを抱え込んだ葵が戻るなり王の凱旋の如き歓待を受けていたようだったが、特に興味はなかった。 対して、結局一枚も段ボールを手に入れる事が出来なかった白斗は、以後は人権を剥奪された大貧民の方がまだマシだと思えるくらい働いてもらうとの宣言を受けていた。 しかしながら葵から一枚の段ボールを譲り受け――正確には一枚のお札と引き換えに――それをクラス委員に渡すと、相手は自腹での差し入れの買い出しと引き換えに許してやる、との温情を見せてくれた。 「……」 何か釈然としないものを感じつつも、言われるがままに学校近くのコンビニへと向かっていた彼は、いつの間にか後ろを歩く人物の姿に気づいた。 「……私も買い出し。じゃんけんで負けたから」 大して興味も無さそうにそう言うなり、夜空を見上げた悠。 「そっち、作業の具合はどう」 「……さぁ」 出し物の内容もあまり目にも入っていなかったので、適当な返事を返す。 「そう」 大した答えも求めていなかったのか、それで彼女は話を打ち切った。 それからコンビニへと向かおうとした、その歩みが唐突に止まった。 「ところで、さっきの話だけど」 ――二時間ほど前の事。 「それじゃ、よろしく頼むッス」 その言葉で、最後まで職場に残っていた白斗と悠もソファから立ち上がった。 同時に、ポッキーらしきものをかじり始めた秋津さんも、後ろ手を振っているクロードも、困ったように自身の服を拭いている石田も、共に奥の部屋に消えていった。 「……」 部屋後方で目を閉じ壁に寄りかかっている紫苑を横目に、白斗は悠と部屋の出入り口へと向かった。 と。 「待て」 声は、真横にいたその人物から発せられた。 「一つ、言っておく事がある。出ていった奴らにも伝えておけ」 それから彼はどこか困ったように顔をしかめ、それから吐き出した。 「……余程の事が無い限り、クオリアは使うな。全員だ」 「どういう事」 「念のためだ。そんな状況にならないように、こちらでも動くがな」 それだけ言うなり、出入り口の扉を押し開けて紫苑の姿は消えた。 「……」 夜道で立ち止まり、そんなしばらく前の事を思い返す。 「クオリアを使うな、って事は……」 「使わざるを得ない状況が起こるかもしれない、って事だと思うけど……」 白斗の言葉を、彼女が引き継いだ。 「……」 そして続けて思い返す、先月の事。 あの時は『悠のクオリアである『サイ』で魔界からの来訪者を一網打尽に出来た』が、またそんな物騒な事が起こるのだろうか。 「……宝石か何だか知らないけど、ただの探し物ならそうはならないはず……だと思う」 独りつぶやいた言葉を、隣の彼女は無言で聞いていた。 そんな事を考えつつ、コンビニに入る。 奥の飲み物コーナーのガラス扉を引き開け、ペットボトルの飲料水や缶コーヒーなどを、適当に買い物カゴに放り込んでいく。 これで足りるだろうかと思いながら、持ち切れるだけの重さギリギリになった買い物カゴと共に、背後の悠を振り返ると。 「重いですからね、お持ちしましょう、へへへ……」 何やらご機嫌伺いであるかのように、クラスメイトの山寺が悠へと手をすり合わせていた。 「別に」 悠に避けられた彼はこちらに気づき、手を挙げた。 「お、いたいた。流石にお前だけじゃ持ち切れないだろって事で、俺も荷物持ちやる事になったんだわこれが」 「ああ、助かる」 「というわけで、お前と悠さんの荷物、半分ずつ持ってや……持って差し上げましょうへへへ」 「別に、私はいいけど」 なおもごますりのような事を続けようとする相手に、悠が不審げな視線を向けると。 「いやー、悠さんは学内美少女ランキング、ぶっちぎりの第一位ですからね! ここでご恩を売っておくと人脈とついでに俺の人気がへへへ」 「……確か、前に時雨がファンクラブとか言ってたけど、まさかそのランキングって」 「で、俺がそのランキングの主催者」 「やめて」 「ちなみに二位は生徒会の……」 相手が何かを口走り始めたのを意に介さず、ため息をついた彼女はレジへと向かっていった。 精算を済ませ、三人で店を出る。 重さで破れないためなのか、二重三重になったコンビニの袋――それでも長くは保たなそうであったが――を手に、学校までの道を戻っていく。 「あ、ところでよ。お前は知ってるかこの話?」 ふと隣を歩く山寺が、そんな事を言い出した。 「最近俺、学校の七不思議探そうとしてるんだけどよ、その一つ目にちょうどいい話が見つかってさ」 情報屋でも目指してるのかと白斗が言う前に、彼は続ける。 「ここ数日の話なんだが、夜になって生徒が誰もいなくなった頃、部室棟から音が聞こえてきてさ」 「音?」 相手の言葉に、一歩先を歩いていた悠が振り向いた。 「ああ。それも何か重いものが落ちるような、地響きというかそんな感じらしい」 ようやく悠の興味を引けた事に満足したのか、彼はうなずいた。 「でも、翌日見に行くとよ、全く何も変わってないんだわこれが。音の原因も何も見つからないし」 「夜中に工事でもしてるんじゃないのか」 「けどよ、工事車両は誰も見かけてないし、先生に聞いても工事の計画は無いってさ。そもそも明かりが点いてなかったから、誰もいなかったのに、だ」 「……」 「な、興味出てきただろ? この調子であと六個の学校の七不思議を探して……」 何やら一人盛り上がっている彼は、買い物袋の中から炭酸飲料を取り出して一気に流し込んだ。 「……ぷはー! ってなわけだ。これは何かあるに違いない! だから学校のオカルト部にこの情報を流して、学食の無料チケットを――」 そこで興味を失ったのか、悠は荷物を手にしたまま前を向いてスタスタと歩き始めた。 彼女と別れて教室に戻ると、そこでは相も変わらず十数人ほどの生徒が作業を続けていた。 夕方に葵が持ち込んだ大量の段ボールを、担当の班が器用に切り分けていく。 そしてそれらはマジックペンで色が塗られ、いつしか小さな人の形をした立て看板になった。 そんな光景をただ見つめていた白斗は、そのまま教室を後にした。 しばらく作業を手伝う……気も起きず、その間は他クラスの出し物の見回りに行って時間をつぶそうと思った。 小一時間ほど校舎全体を歩き回った感想としては、お祭り騒ぎだなという事だけだった。 何やら屋台のようなものを手作りで作っている上級生や、喫茶店でも運営する気なのか何台もの円形テーブルを運び込んでいる同級生などが目についた。 資材で手狭になった廊下に厚紙を広げ、そこで何人もの生徒が這いつくばるような体勢で作業を進める。 「……」 部室棟はどうだろうと足を伸ばしかけると、奥の方から何やら和音が響いてきた。 どうやら吹奏楽部辺りが、文化祭当日の発表に合わせて練習しているらしい。 そのままさらに足を進めようとすると。 「どうした。自分のクラスの出し物はいいのかね? ……またお前か」 ふと背後から声をかけられて振り向くと、そこには例の女教師が数枚の紙片手に立っていた。 「確かお前は部活には入っていなかっただろう? ならば自分のクラスでの作業に戻るか、とっとと帰ってレポートに手を付けるか、どちらか好きな方を選びたまえ」 と。 その時、頭上から校内放送が聞こえてきた。 『もうすぐ夜八時を回るので、校内に残っている生徒はキリのいいところで作業を切り上げて帰宅するように』 「……もうそんな時間か。仕方ない、ほら、戻りたまえ。そして朝イチで私にレポートを手渡すのだ」 手にしたプリントで、シッシッと追い払うかのような仕草をする教師。 それに従い、白斗は自身の教室への道を戻り始めた。 どうしたら悠に代わりにレポートを書いてもらえるだろうかと、割と真剣に悩みながら。 同時にその教師が切ったのか、部室棟の明かりが消えて辺りは暗闇に包まれた。 「おい、どこ行ってたんだよ。……まあいいか」 自身の荷物を取りに教室へと入ると、ふと真横から缶コーヒーが投げ渡された。 「ほらよ。お前の分」 見ると、先ほど買ったものの残りらしきブラックコーヒーを抱え込んだ山寺が、クラス内の生徒に手当たり次第に声をかけていた。 「……」 教室内に残っている十人ほどの生徒たちの後ろを通り抜け、ロッカーから自身の手荷物――正直なところ別に置き忘れても大して問題はなかった――を回収し、そのまま教室を出ようとすると。 ――ズシン。 そんな重い音が、どこからか聞こえてきた。 とっさに方向を確認すると、それは先ほどまでいた部室棟の方向から聞こえてきたように思えた。 騒がしい中にいる他の生徒たちは、誰一人気づいた様子はない。 「……」 それからふと、買い物後に山寺が言っていた事を思い出した。 最近、夜になると部室棟から地響きが聞こえてくる、と。 きっと誰かがまだ残って作業でもしていて、それで重い木材でも落としだのだろう。 そう思い窓から部室棟へと目を向けるが、明かりが点いている様子はなかった。 それに今しがた聞こえた音も、木材よりももっともっと重そうな、それこそ金属製のロッカーを階段の上から投げ落としたようなものに聞こえた。 「……」 再度その音が響いた時、白斗は教室を飛び出した。 廊下に出ると、同じ用件でこちらを探していたらしき悠の姿があった。 「……どうする、光輝も呼ぶ?」 一応彼にも声をかけようと別のクラスを覗くが、それらしき姿はどこにも見当たらなかった。 そう言えば葵もあれから目にしていないと思いながらも、他のクラスを覗いて回ると。 「お、いい当たり! すげーなお前さん」 「ふふん、あたしの射撃スキルを舐めない事ね!」 『……撃ったの私だけどな』 「よっしゃ! 次は俺の番な!」 何やら他のクラスの製作途中の射的に、見覚えのある顔が三つ群がっていた。 「スコアが低かった奴が一番高かった奴に、明日アイス三十本おごれよ!」 『……腹壊すぞ……』 その三人と幽霊を目にした途端、悠がクルリと背を向けた。 「別に、見てくるだけだから。私と兄さんだけで十分」 携帯電話の明かりで辺りを照らしながら、暗い部室棟に忍び込む。 既に大体の生徒や教師は帰宅した上に、残っている少しばかりの人間も学校を出る寸前という事もあり、当然ながら人の気配は欠片もなかった。 「部室棟……。あんまり来た事なかったけど、特に変わりはなさそう」 彼女も自身の携帯電話のライトで、天井や壁を見回す。 「……」 ふとそこで、先ほど山寺から押し付けられた缶コーヒーをずっと握りしめていた事に気がついた。 生温いそれを近くの窓枠の上に置き、白斗は長い廊下の奥の方まで見渡した。 「とりあえず、奥まで見に行ってそれで何もなければ――」 光輝と葵にも声をかけて帰ろう。 そう言おうとした瞬間、ヒュン、と音がした。 続けて、近くから何か軽い金属質のものが落下する音と、続く水音。 「……?」 音の出どころへと視線を向けると、先ほど置いたはずのコーヒー缶が『半分になっていた』。 正確には、まるで鋭利な刃物で缶の胴を斜めに一刀両断にしたかのような切断面が、ざっくりと口を開けていた。 そして廊下の奥の方からコツ、コツ、とゆっくりとした足音が響く。 「来たねェ、協会」 暗闇の中の相手は、口元にニィと笑みを浮かべた、 荷物の中から木刀を取り出すと、相手は心底面倒そうに両手を挙げた。 「待ちなよ待ちなよ。オー怖い。戦闘民族はこれだから嫌なんだよねェ」 暗がりに目が慣れてくると、長身気味の相手の年齢は自分たちと同じ程度のように見えた。 「ボクはねェ、話があって来たのにさァ」 こちらの困惑をよそに、相手は続ける。 「まずはフレンドリーに行こうねェ。ボクは伊吹(いぶき)って言うんだァ。以後よろしくゥ」 わざとらしいまでに深々とお辞儀をした相手は、そのまま手を広げる。 「んで、分かってるとは思うけどさァ、力場石(りきばせき)、譲ってくれない?」 「力場……?」 「あーあー。ホンット君たち、何も聞かされてないんだねェ」 「……。宝石を探してほしい、っていう話なら聞いてるけど」 「それよォ、それそれ。美人ちゃんの言う通りのものを、ボクも探してんの」 先ほど自分たちの職場名を口にした相手が、上司の話にあった物を同じく探している。 これは少なくとも、そこら辺の人間が偶然部室棟に迷い込んだわけではなさそうだと白斗は思った。 「ほら、ボクたちも余計な手間かけたくないンだよねェ。だからここは引いてほしいんだよなァ」 両手を大仰に広げた相手は友好的な雰囲気を醸し出すものの、常に浮かべている下卑た笑みがそれを台無しにしていた。 「……それってどういうものなの」 「ただのキレーな宝石。物好きに売るといいお小遣いになるんだよねェ」 伊吹は笑みを強めてそう言い放ち、数秒後に首を傾げた。 「……じゃ、ダメ?」 「真面目に答えて。その内容によって、どうするかを考えるから」 「んー、そうだねェ……。まァ、いっか。美人ちゃんの頼みなら教えてあげようかねェ」 言いつつ、どこからか取り出した野球用のボールを、一切ためらわずに近くの部室の窓ガラスに投げつけた。 一瞬の後、ガラスが砕け散る盛大な音が辺りに響いた。 「原理はこうだねェ。ま、ボクも実際に見た事はないんだけどさァ」 「……?」 「普通は片方がもう片方の力に負けて終わる。でもねェ、もしそれが継続的に、かつ釣り合っていたらどうなるか、ってねェ」 「言ってる意味が……」 悠がそう口にすると、伊吹は面倒そうに手を叩いた。 「はい、この話はここでオシマイ。……んで、どうする? ボクに渡してくれる?」 「……待った。その石だか宝石だか、どちらにせよ俺たちは持っていない」 「知ってるよゥ。ちなみにボクも持ってないよォ」 「だったら……」 「その上で質問。もし君たちが石を手に入れたら、渡してくれるかなァ? 人助けだと思ってさァ」 「……」 悠と顔を見合わせて、しばらく考える。 これが単に上司の気まぐれのお使いなどの品であるなら何でも良かったが、この件には紫苑やクロードなども関わっていた。 特にあの紫苑が反対する素振りを見せなかった以上、これはそうやすやすと譲っていいものであるとは思えなかった。 少しの沈黙の後、悠が首を横に振った。 「……駄目。渡せない」 「ハーイ交渉決裂」 やれやれとばかりに手を振り、わざとらしきため息をつく相手。 「んもゥ、つれないねェ。ボクの巧みな話術にも耳を貸さないなんてねェ」 「用件がそれだけなら、私たちはもう戻るから。伊吹……だっけ。うちの生徒や先生に見つからない内に早く外に出た方がいいと思うけど」 先ほど相手がボールを投げつけて粉砕した、窓ガラスへと目を向ける。 「んんー、大人しく石を渡すか、渡さないか。これは渡さない、を選んだかァ」 ため息をついた体勢のまま、言葉を続ける相手。 ふと白斗は、本校舎へと目を向けた。 ガラスの破壊音が響いても誰も駆けつけてこないという事は、校内にはもうほとんど人間が残っていないのだろう。 きっともう既に、八時半ごろを回り―― 「んじゃァ、次の選択肢」 その途端、ピシッ、という音と共に。 細切れになったコンクリートの天井が、ゆっくりと崩れ落ちてきた。 「死ぬか、死なないか」 とっさに片手を宙へと突き出した悠が、そこから緑色の防壁『イージス』を展開した。 「……っ」 次の瞬間、鈍い轟音と共に人の頭ほどもあるブロック状のコンクリートの塊がいくつも降り注ぐ! 「兄さん、頭下げて」 悠がイージスの密度、つまりは強度をさらに高めてしのぎ切ると、前方の相手はわざとらしくパチパチと手を叩いた。 「おお、やるねェ。じゃ、この感じで次行ってみよゥ」 言いつつ伊吹がこちらに手を向けると、白斗と悠の数メートル背後の教室の外壁と天井が崩れ落ち、廊下を塞いだ。 乗り越えられないわけではないだろうが、この正体不明の相手の前でそんな悠長な事をしている暇があるとは思えなかった。 「……」 退路が無くなった事に顔をしかめ、粘つくような笑みを浮かべている相手を見つめる。 おそらくはこれも最初のコーヒー缶の切断も、相手の何かしらの能力なのだろうが、そのトリックが分からないと動きようがなかった。 だからここはひとまず自身のクオリアで時を止め、それからゆっくりと脱出を図ればいい。 もしくは……。 相手を警戒しながらも、その出方を伺っている悠へと目を向ける。 「……」 ふとそこで、先ほどの紫苑の言葉を思い出した。 余程の事が無い限り、クオリアは使うなと。 今現在のこの状況が『余程の事』であるのかどうかは分からなかったが、それは事態の打開につながるかもしれない行動を躊躇させるのには十分な理由だった。 隣の悠も同じ事を考えていたのか、どこか困ったように息を吐いた。 その時、相手の言葉通り「次」のコンクリートの塊が降ってきた。 今度は先ほどよりも大きく、再度展開されたイージス越しでも衝撃が伝わってきた。 ふと上を見上げると、崩落した天井があった場所から夜空が見えた。 「ほらほらァ、クオリア使わないと死んじゃうよォ?」 「……っ」 確かに相手の言う通り、このままではいつか建物そのものの崩壊に巻き込まれるのも時間の問題だろう。 と。 「そこで一体何をしている、お前たち」 最近何度か耳にした、そんな声が背後から聞こえてきた。 振り返ると、通路を塞いだコンクリートの塊越しに、例の女教師がどこか困惑したように立ち尽くしていた。 「……っ」 もし仮にこの場にいたのが紫苑であったのならば、確実に舌打ちをしていたであろう状況。 「何だこれは。そこのお前はうちの生徒ではないようだが、何にせよ危ないからとっとと――」 「……邪魔なんだよねェ!」 前方の相手が心底面倒そうに叫んだその瞬間。 「……む?」 近くの残っていた天井が崩れ。 「しまっ――」 悠が手を伸ばすも当然間に合わず、ボサッと突っ立っていた女教師を飲み込んだ。 同時、やけに強い突風と共に辺り一面が土煙に覆われる。 「……くそ」 もうもうと立ち込める土煙の中、まず生きてはいないだろうと思いながら、この場からの脱出を最優先事項に定めた白斗は、手にしていた木刀で近くの窓ガラスを叩き割った。 ここから飛び出せば、校庭は目の前だった。 普段の自分であったならば、退学にならなければいいなとか思っていたのだろうかと頭の片隅で思いつつも、背後を振り返る。 と。 「コンクリートの主成分は、カルシウム、ケイ素に鉄、そしてアルミニウム、だったか」 「……?」 砂煙の中から無傷で――ただ着用している白衣だけは砂ぼこりにまみれていたが――現れた教師は、どこか面倒そうに息を吐いた。 「だから嫌だったのだ。古巣に戻るのは」 「古巣……?」 「奇跡ってあるもんだねェ。……まァ、二度目は無いけどねェ!」 伊吹が片手を天井に向けると同時、再度近くの壁が崩れ落ちる。 とっさにそこに悠が割り込み、教師を中心に盾を展開しようとするが。 「どいていろ」 白衣のポケットから取り出した携帯固形食糧を口に放り込んだ教師は、降り注ぐコンクリート片へと手を伸ばした。 手に触れた瞬間、コンクリート片は消失した。 いや、正確にはそのコンクリート片があった空間から周囲に向かって強い風が流れた。 「あァー、なるほどねェ」 そこで前方の相手も、この教師が何かしらの能力を使ったのだと理解して顔をしかめた。 そしてそれに構わず、再度取り出した小箱から中身をかじり取った教師は、深々とため息をついた。 「全く、またこれを真面目に使う日が来るとはな。……『オプス・マグナム』」 言いつつ近くのコンクリート片に触れると、それも風と共に消失した。 「言うなれば、大いなる作業。物質の分子構成を組み替え、別の物質に変換する。無機物限定にはなるが、要するに錬金術だ」 それから教師は「ちなみに今回の変換先は窒素だ。大気中に最も多く存在する普遍的な物質だな。今度試験に出すとするか」と続けてから、再度ため息をつく。 「全く、秋津の馬鹿に関わるとロクな事がないと、昔から分かっていたではないか」 「……もしかして」 紫苑に言われた、「クオリアは使うな、使わざるを得ない状況にならないようにこちらでも動く」との意味が分かった気がした。 「あーあー、クオリア持ってない奴に割り込まれるのは予定外で面倒だねェ。……分かった分かった今日のところは引きますよォ、覚えてろってねェ」 両手をひらひらと振った相手は、部室棟奥の暗がりへと走り去っていった。 ……。 再度戻ってくる気配が無い事を確認した白斗は、ずっと構えていた特に何の役にも立たなかった木刀を下ろした。 そしてそれから、隣の女教師へと目を向けた。 おそらくは秋津さんや石田と同じ、協会所属者だと思われる人物へと。 すると相手は、ポケットから例の携帯固形食糧を取り出してかじり始めた。 「それでだ。大丈夫かね津堂」 暗い中よくよく見ると、手にした箱には「熱量の友」との印字が見えた。 「どっちですか」 「訂正しよう。大丈夫かね、津堂ズ」 「私は雑務を片付けてから向かうとしよう。では、少し遅いが十時過ぎに現地で会おうではないか」 そう言い残し、相手は携帯固形食糧を飲み込みつつ去っていった。 「……」 そして思い出す、先ほどの事。 あの状況で、部室棟はよくも崩壊しなかったものだと白斗は思った。 当然立ち入り禁止になるような惨状は明日になれば大騒ぎになるのだろうが、今は気にしていても仕方なかった。 文化祭は中止になるのだろうかなどとボーっと考えながら、光輝と葵を探す。 「……あ、あそこ」 悠の指した先では。 「ていやー!」 射撃対決に敗北したらしき葵が、腹立ちまぎれに射的台に回し蹴りをして破壊していた。 近くではそのクラス所属の制作班らしき生徒が泣き崩れていたが、あまり興味はなかった。 「あー、人生で一番つまんない時間だったわ。ちなみに二番はこの前のレポート書いてる時よね。とりあえず教科書写しといたけど。さ、お仕事しよーっと」 「あ、悠―。聞いてくれよ、勝負は最後まで俺と時雨の互角だったんだけどさ、途中から時雨さんがチョコが切れたって言い出して、全然当たらなくなって。なんか手も震えてたみたいで、今近くのコンビニにひとっ走り……」 「……それよりも」 ため息をついた悠が、職場に十時に集合という旨だけを二人に伝えた。 「マジかよー。んじゃ、とっとと晩飯食わないとな」 頭の後ろで手を組み鼻歌交じりに去っていく光輝と、『宝石』を探しているのか廊下に手をついた体勢のまま昇降口の方へと向かっていく葵の後を、二人は追った。