それからしばらくの後、四人は協会支部の建物前にいた。 大通りから離れた路地の、数階建ての雑居ビル。 外付けの階段を登り、自分たちの職場に入ろうとすると、ふと幽霊が驚いたように前方を見つめていた。 『……!』 「む、来たかお前たち」 その階段の手すりに寄りかかる形で、あの女教師が空を見上げていた。 途端、光輝と葵が同時に一歩後ろに下がった。 「げ、センセ、こんなところまで追いかけてきたのかよ……」 「あ、あれはあたしが悪かったごめんなさいって謝ったでしょ、だから反省文だけは勘弁して! あたしペンを持つと持病のガンが再発するから、次があったらもう先は長くないって歯医者さんに言われてて……」 「……兄さんだけじゃなくて、二人も何かあったの」 悠の冷たい視線が、光輝と葵に突き刺さった。 「ああ、この前の指名課外をバックれた事だよなきっと。でもB組のアイツに代理出席させといたしバレてないはずだって……」 「あたしは化学の授業中に、アルコールランプとビーカーでラーメン作って食べようとしてたのが見つかって……」 ……。 「……お前たち、言いたい事は色々とあるが、まずは中に入ろうではないか」 教師はそう言って、寄りかかっていた手すりから身を離した。 そしてスタスタと、上へと向かっていった。 「……六年ぶりか」 『……』 小さな声でつぶやいた言葉は、幽霊にだけ聞こえた。 「やっほー、みさっきー」 全員で部屋に入ると、秋津さんの第一声がそれだった。 誰が連絡したのか、テーブルの上には既に八個のカップが並んでいた。 辺りを見回すが、クロードの姿だけはどこにも無かった。 何故か彼の事が苦手だと言っていた悠が、ふと安心したように息を吐いた。 「さ、座って座って。やー、久しぶりだから話したい事いっぱいあるけど、まずは何から……。あ、飲み物はコーヒーでいい?」 「自分で淹れる」 言いつつ、コーヒー豆がストックされている棚へとつま先立ちで手を伸ばす悠。 「あ、俺ジュースで」 光輝と葵が寄ってたかって備え付けの冷蔵庫を開ける隣で、教師と石田の視線が合った。 「ようやく来てもらえましたよ。ハハハ、僕の説得のおかげですね」 「説得?」 「ええ、少し前からここに戻るように彼女に何度も何度も声をかけていたのですが、いつもにべもなく断られてしまっていまして」 白斗の言葉に、相手は中身を注いだカップを口に運んだ。 「それにしても、あの話は本当なのだろうな。……アイツらが生きている、と」 「もちろん。後ろ後ろ」 そして背後を振り向いた教師が、壁に寄りかかっていた紫苑を目に留めた。 「……瓜宮(うりみや)か」 言いつつ、珍しくどこかうっすらと困ったような表情で相手を見つめる紫苑。 そこで白斗はようやく、女教師の名前を知らなかった事に気づいた。 「って先生、紫苑と知り合いなの? こいつ多分裏社会との繋がりとかあって、いつも警察に追い回されてるから夜型生活で、性格も陰湿で、その証拠にあたしの命令全然聞かないし、」 「……」 おそらくその言葉も聞こえてなかったのだろう、瓜宮はそっと目を閉じた。 そしてその代わりに、秋津さんが口を開いた。 「もちろん知り合いだよ? 正確には全員同じ学校の同級生。私と石田くんと、みさっきーと、紫苑くんと、それと……」 相手の言う「みさっきー」が、瓜宮を指しているであろう事に気づくのには少し時間がかかった。 それから秋津さんは、葵の背後の幽霊へと視線を向けた。 同時に、ふと瓜宮が周囲を見回した。 「それで、もう一人はどこにいるのかね? 奴も確かにいると、石田から……」 「……あー、やっぱり見えてないんだ」 『……。すまないな、葵。代わってくれ』 葵が目を閉じると、葵とクレアの精神が入れ替わった。 「……私だ。久しぶりだな、瓜宮」 「……お前は……。ああ、なるほど、そういう事か」 しばらくどこか不思議そうに葵を見つめていた相手は、どこか安心したかのような笑みを浮かべた。 ……。 「さ、大人の積もる話は後でゆーっくりするとして……今回の本題!」 全員が席に座ると、いつものにへらとした笑みを少し消した秋津さんが手を叩いた。 「詳しい事はみさっきーから聞いてるけど、一応確認しておくね。ええと、白斗くんと悠ちゃんが変な噂を聞いて……」 ひとしきり話を聞いた後、光輝がぽかんと口を開けていた。 「マジかよ……。俺たちが射撃対決してる時に、そんな変な奴がいたってのか……」 「……。それにしても、伊吹とか言ったか。一体何を考えているのかねアイツは。校内の建物をシャレにならないまでに破壊するとは。後先と言うものを少しは……」 ……。 「……ねぇ、秋津。宝石……『力場石』って、一体何?」 ふと、悠がつぶやくように口を開いた。 すると相手はどこか困ったように辺りを見回した。 と。 「……俺が説明してやる」 ふと背後の定位置で腕を組んでいた紫苑が、ゆっくりと前に歩み出た。 「出来れば言いたくはなかったが……余計な邪魔が入ったのならば話は別だ」 そこで彼は小さく舌打ちし、息を吐いた。 「お前たちの力……異能でもクオリアでもいい。それらがこの近辺で何度も使われた影響を受け、ある種のエネルギーが滞留し続ける状態になっていてな」 「何だよそれ。静電気みたいな感じかよ?」 光輝のその言葉に、小さくうなずく。 「少しずつ、だが何度も何度も溜め込まれた力は、ある場所に特に強く溜まっていてな。エネルギーの中心部と言い換えてもいい」 『……もしかして、うちの高校の敷地内か?』 「ああ、その通りだ」 再度うなずいた紫苑の言葉を、秋津さんが引き継いだ。 「あの学校の敷地内を中心に、色んな力が混ざり合ってるの。みんなの力だけじゃそこまでの量にはならないはずなんだけど……ともかく、そういう事」 「加えて、だ。その残留エネルギーは異能よりもクオリアの方が何倍も溜まりやすい。だからだ。クオリアを使うなと言ったのは」 その時ふと、白斗の脳裏に伊吹が執拗にクオリアを使うように誘導していた事が思い出された。 ……。 「それでそれがもし限界まで溜まると……どっかーん、とか?」 大きく両手を広げた葵に、かぶりを振る。 「いや、爆発はしない。あくまでも静電気のようなもので、本体ではないからな」 「その代わりにね、結晶となって放出されるの。一見綺麗な宝石みたいな、ね」 「それが……『力場石』」 口元に手を当て、悠が考え込んだ。 「ああ。残留エネルギーが、目に見える形で結晶化したものだ。ただ単に宝石のようであるだけなら放っておけばいい……が」 小さく前を置いた後に、再度続ける。 「そこにはやはり高いエネルギーが閉じ込められている。使われた力の総量には及ばないが、十二分に大きなものだ。悪用可能な程度にはな」 「燃料みたいな?」 「小型の核燃料だと思えば分かりやすいかもしれないな。究極的には、街全体を吹っ飛ばせる力を持ったような、な」 その言葉に、場が一瞬にして沈黙した。 しばらくの間を置き、葵が口を開いた。 「そんな物騒なものを、その不審者はどうして探してたのよ?」 「さあな。だが、真っ当な目的ではないだろうな」 「……」 「さて、ここで方針の変更だ。『石』を探せと言ったがやめだ。奴よりも先に『石』を回収しろ。それが最優先事項だ」 「……ああ、後先考えずに校内で暴れるような奴には、なおさらそんな危険物は渡せんからな」 飲み物に口を付けた瓜宮が、そう言って息を吐いた。 「明日からは俺も多めに動いて、その伊吹とかいう奴が割り込んで来たら相手をしてやる。……とにかく、そういう事だ」 言いつつ、欠伸をし始めた光輝を見つめた。 「文化祭の時期だったか。別にそちらを放り投げろとは言わん。その分は俺たちの方でカバーしてやるが……客に紛れて近寄ってこないとも限らん。注意しろ」 日付が変わるまで、もう一時間を切った頃合い。 「それにしても、変よねぇ」 寄宿舎までの道のりを歩いている途中、葵の歩みがふと遅くなった。 「変って、何がだよ?」 「紫苑の事よ。アイツ、どう見てもあたしたちと歳同じなのに。不登校で学校行ってない不良だと思ってたけど。それか学校でカツアゲして、停学処分でも食らってるんじゃないかしら」 「そういえば、アイツが学校行ってるのみた事ないよなぁ。……中卒、とか?」 「ああ、そういう可能性もあるわよね。きっと卒業式の日に先生たちにお礼参りとか言って、モヒカン頭で舌なめずりしながら釘バットでも振り回してたんじゃないかしら」 本人の知らぬ間に評価がどんどん下がっていく事にクレアが頭を抱えていたが、それに二人が気づく様子はなかった。 「それが先生たちと同じ歳っていうのなら、相当な若作りよねアイツ。もしかしてああ見えて、美容マニアなのかしら」 伸びをしてから、何かを閃いたように手を叩く。 「あ、もしかしたら好き嫌いが多いから栄養不良とか? 素行不良で性格も不良なんだから、きっとそうよね」 満足してうんうんとうなずいた葵は、自身の背後を歩く人物を振り向いた。 「悠はどう思う? あたし、探偵の才能あると思うんだけど」 「……別に」 心底興味なさげにそう吐き出した相手は、それから目を伏せた。 「……それよりも」 「ああ、そうよね。それよりもアイツがどうやって毎日暮らしてるのかも気になるわよね。きっと河川敷で段ボールハウスに住んで、釣った魚を焼いて食べて、お金は近くを通りかかる中学生から巻き上げて……」 「……そうじゃなくて」 悠が一層大きく息を吐き出して、夜空を見上げた。 「伊吹と『力場石』の事。あの口ぶりからすると、きっとまた近いうちに私たちの前に現れると思う」 「……」 白斗の脳裏にも、先ほどの出来事が思い起こされた。 相手の能力が分からない上に、クオリアを封じられている。 どうにかして接近すれば何とかなるだろうかと思いつつも、眠くなってきたので考えるのをやめた。